「ミニマリストって憧れる」
「断捨離むっず」
「実際どんな感じ?」
聞いてみたら、みんな違った
遺品整理をすると大抵の人はミニマリストの部屋みたいになる。
余命を前にするとほとんどのものに価値を見いだせなくなるし、
あの世に持っていけるのって思い出だけなんだよね!
んで、私みたいなのもいっちょ前にキレイな部屋になったりしたんだけど
そこで接点がうまれるのが「ミニマリズム」という思想。
よく知らなかったのでちょっと聞いてみたら、意外な世界が広がっていた。
入院やボランティアで聞いたミニマリストの小話。
"しうかつ"です。
詳しくはプロフィールへ。
毎日ツイッターでリングフィットアドベンチャーやFitBoxing2プレイ
- 元商社マン→お国に年1億販売
- 難病→入院費100万連発→貯金が吹き飛んだ上に退職
- 国と接していた時の知識をフル活用→支援制度だけで節約生活
- 給付金制度のアドバイスボランティアや患者さんと接すると奇縁がうまれる
目次
どうして憧れの"持たない人"になれないのか
スマホ1つで仕事をしている人はカッコいい。
部屋はスッキリしていて、置いてあるのはなぜか共通してコーヒーミル。
ホテルぐらしの人だっている。
そうなると、もはや家具すら持っていない事になる。
ただ、このふたつだけでも論争が起きる。
「いや、ホテルで物に囲まれてるのはミニマリズムと違わないか?」
「いやいや、
このしばられない身軽さこそミニマリスト
ホテルは最小単位
持ち物はスマホだけ」
この議論が発生する時点ですでになにかおかしい。
ホテルがダメならバックパック分の持ち物しかないミニマリストの
コリン・ライトさんはミニマリストではなくなる。
海外では非常に有名で、10年以上も続けている「定番」のような存在。
しかし日本では「違う」と言われる。
そう、日本には独自の「ミニマリストといえば」という共通認識がなぜかある。
その原因が、やはりというか当然ニュース映像。
・なにもない部屋
・椅子や机もないので、床に座って虚空を見ながら食事をする。
キャッチーにするため
「えぇっ!ベッドがないんですかぁ!?」
という特集がバンバン組まれた。
すると世間的なイメージは
ミニマリストって物がないんだ!
断捨離なんだ!
ベッドがないんだ!
となってしまった。
なので、
「ミニマリストの部屋、かくあるべし」
という共通認識のようなイメージが出現。
謎のマナー講師のような、正解のないことに
判定を下すミニマリスト検定が発生する。
ミニマリスト警察に捕まらないよう
「ミニマリストの正解」のためにマネをする。
「その部屋でミニマリストはおかしい」とか言われないために。
ミニマリストの称号は今日もらえる
落ち着いて考えてみよう。
「なんでミニマリストになりたいの?」
「ミニマリストになって何が楽しいの?」
「どうなればミニマリスト判定なの?」
その人に最適な最小単位は人それぞれ。
オリジナルで自分がカスタマイズするもの。
だから有名な誰かやイメージのミニマリストをマネをしようとするとムリがでる。
もっといえば、なろうと思ってなるものではない。
本来やるべきなのは人それぞれの主観的なミニマリズムの探求。
客観的な「ミニマリスト」という称号が欲しいだけなら
どうも、私はミニマリストです
と主張すればいい。
今すぐ廃品回収業者を呼んで
全部持っていってもらい
コーヒーとノートPCを地べたに置いて写真を撮る。
誰しもが「この人はミニマリストなんだな」と思ってくれるだろう。
でも違うはず。
なりたいのは、単なる「部屋にベッドがない人」じゃないでしょ?
私の思う理想の生活は……
それが大事。
あなたがミニマリストになれたと思ったならそう言えばいいし、
称号がほしいなら簡単にもらえる。
国家試験じゃないもの。
ミニマリストは結果で他称
ミニマリズムを手段に理想の生活をしている人への呼び名が「ミニマリスト」。
他にそれっぽい呼び名がないから、ひとことで表すためにカテゴライズしただけ。
外見上だと
「物が少ない」
「物持ちが良い」
「ひとつにこだわってる」
でも内面上は
最小で最大の幸せを
ミニマリストになりたいという人は、最初は何かでミニマリズム的な生活環境を見て
「これこそ求めていた理想の生活!」と思ったあとに
「こういうのをミニマリストっていうんだ。なりたい」と考える。
でもいつしか「手段としてのミニマリズム」が
承認欲求やミニマリストの「正解」のせいで
「目的がミニマリスト」となってしまう。
「理想の生活をミニマリストがやっていた」→「ミニマリストになれば幸せになれる」に変換されていく。
だから「わたしの考えた最高の生活イメージ」を取り戻すところから始めよう。
そこをすっ飛ばしてただ断捨離をしたら、
部屋にスマホだけの生活になっても満足できない状態になってしまう。
「物が少ないほうがエラい」と思い始めたら終わり
私はあの人より物が少ない!
こんなにも不便に耐えて生きてる!
今日も物が減った!
ねぇなんでそんなに物が必要なの?
「比較的」になってしまっている。
マウントをとるために物を減らしても幸せにはなれない。
なぜなら比較する相手を作ってしまった時点で無限に上が出てくるから。
所持品が少ないほうが勝ちの勝負なら
例えば富裕層の家系には絶対に勝てない。
持ち物をゼロにできるから。
・服は持ってない→着替えは毎日ルームサービスが来る
・ゴミ箱も食器もない→食事は毎日運ばれてくるし、ゴミは持ち帰ってくれる
・家電もない→掃除洗濯は勝手にやってくれる
・スマホも財布もない→コンシェルジュが持ってるし必要ない
ベランダから夜景や星空を見るのが趣味。
所持品ゼロ。
お金すら持ってない。
部屋や経費は全て本人の知らないところで
親や祖父母が手配している。
毎日幸せ。
このまま食って寝て
星を見るだけの一生。
そんなのミニマリストとは言わない!
苦労してこそミニマリスト!
もうおかしい。
でも気が付かないし、今までの苦労を捨てられなくて
認めたくない状態になってしまっている。
スマホだけで仕事をして、ホテルぐらしの成功者というのは意外にいるし
不労所得があって趣味で仕事をしている地主の子供ならかなり遭遇率が高い。
ものの少なさでその人達でやり合うのはムリだし、
それなりの数がいるから嫌でも目に入ってくる。
「物が少ないほうが」
「苦労に耐えてるほうが」
とよぎったらリセットしよう。
肝心なのは
自分が幸せなのかどうか。
主観。
人と比べてどうとかは関係ない。他人は他人。
幸せになるため生活を縮小したはずなのに
物を減らして不便になって、心まで小さくなっては意味がない。
「ミニマリストになりたい」からミニマリストになれない
そんなわけで、ミニマリストになれない理由は大きく2つ。
①「ゴールがミニマリスト」になっているから
②物を減らす痛みを「耐えてエラい」に変換しがちだから
①ミニマリズムは過程と手段の話
マットレスとスマホだけのバエる部屋で
「いいね!」が欲しい!
あのミニマリストの有名人みたいに!
という目標を「ミニマリストになりたい」に変換してしまっているからムリ。
そもそもからしてやってることが違うから。
そうやって物を減らすうちに本来の意味を体感する人もいるが
大抵は苦痛をともなう。
②物を減らす痛みを解消しようとするようになる
本来の意味とかけ離れてただ単にマネして捨てまくると、
その人のミニマム、必要最低限と全く違う状態になる。
不便で不便でしかたがない。
自分が本当は食事を豊かに感じる性格だったのに
調理器具を捨ててなぜか映え映えコーヒーセットがおいてあるキッチン。
気づいていなかっただけで実は服が好きだったのに、
マネして数着だけにしたらスッキリしてるのにモヤモヤするクローゼット。
その辛さや不便さを承認欲求でカバーしようとしても全然ちやほやしてくれない。
しまいには
「誰も痛みを分かってくれない」
「こんなに物が置いてあるのにミニマリストとか」
ミニマリスト検定やミニマリスト警察はこうして生まれる。
まとめ:ミニマリズムは自分探し
キレイな部屋、つまり結果だけを見てマネをしても幸せになんてなれない。
「部屋は心を映す鏡」ともいわれるけれどミニマリズムに関していばズバリその通り。
マネしようとしたオシャレで映え映えの部屋は、
その人だけの豊かさだけで構成されている「結果」に過ぎない。
赤の他人が一番過ごしやすく幸せな空間。
あなたには、あなただけの「結論」となる最小単位がある。
人のマネをしてただ捨てまくっても意味がない。
自分を研究するんだ。
自分はなにで喜ぶのか、幸せを感じるのか。
自分のことこそ自分が一番よくわかっていなかったりする。
ミニマリストってさ、自己研究を突き詰める研究職みたいなイメージ
そういう世界だったのか